タイで日本のモノを売り込め
2008年9月にタイに帰国してからというもの、僕はずいぶんとタダ働きを続けました。その頃の自分にもし声をかけられるとしたら、こう言いたい。
「なんでそんなに儲けるのが下手なのか」
呆れるほど、利益にうとい僕でした。働けど働けどなかなか収入はあがらない。いま思えば、ずいぶんと足元を見られていたのだと思います。労働量と収益はまったく比例していませんでした。
幸いなことに、ツルハドラッグの進出をサポートする仕事が本格稼働したことで、会社の売上は安定し始めました。ツルハの仕事と同時期に始まったのが、JETROが開催していたアセアンキャラバンの仕事です。中小企業の海外販路開拓や拡大を支援するための事業を手がけることで、僕は経済的にやっと一息つけるようになりました。
商談会での僕たちの役割は、バイヤーのリストアップや招聘、カタログの翻訳、事前マッチング、通訳手配といった事前準備から当日のスタッフ派遣、オペレーション管理まで広範囲にわたっています。やがてアセアンキャラバンのほかに、福岡銀行からも同様の仕事が飛び込み、忙しい毎日が続きました。
当時は、タイに日本のモノを売り込むブームのさなか。いま思い出してもなかなかに熱いブームでした。それが数年続いたでしょうか。
バイヤーリストを作るために奔走
その頃の僕はバイヤーを集めるために、輸入卸業者を探し回っていました。商談会に参加する日本人はタイでモノを売りたいわけです。ビジネスマッチングには、輸入業務を手がける業者さんが欠かせません。僕は必死でした。
といっても輸入卸業者の知り合いなんて最初のうちはゼロです。
ではどうしたか。
僕は輸入品を扱っているとおぼしき店に入っては、輸入会社名をすばやく写メして、リスト化しました。当時頻繁に通っていたのがバンナー通りにあるインデックスリビングモール。あそこなら写真が撮り放題ですから(笑)。
BigCでは注意されてしまいましたが、インデックスリビングモールは情報収集に駆けずり回っていた僕にとってありがたい存在でした。完全にゲリラ戦術です。
福岡銀行が主催する商談会は、ホテルや飲食業、食品メーカーなど食品系の企業が多く参加していたので、食関連の情報収集も熱心に行いました。日本企業との商談会に興味を持ってくれそうな会社のリストを集めに集めて、その数は1000社以上。我ながらよく集められたものだと思います。
ただし、リストはあくまでも準備に過ぎません。リストをもとにメールで案内を送ったとしても実際に来てくれる人はほんのわずか。それではお話になりません。
確実に足を運んでもらうためにはフォローが必要です。僕は、メールを送ったらすぐに電話をかけていました。
「メールを見ていただけましたか?」
そう尋ねるとほとんどの人は「見ていません」と答えます。でも、そこで諦めない。僕は改めて商談会の内容を伝え、さらに何度も相手に「うざい」と思われない程度に電話をしました。
大事なのは「うざいと思われない頻度」です。「こいつ、うっとうしいな」とか、「しつこいな」と思われてしまっては元も子もありません。逆効果です。
だから節度を保ち、相手の立場や気持ちを考えながらプッシュを続けました。必要なのは想像力です。
メールと電話と招待状の手渡し
当然のことですが、メールの内容にも気を配りました。
メールで大事なのは、相手にとってのメリットを訴求すること。その商談会にはどんな企業が参加しているのか、どれぐらいの数の企業と一気に会える効率的な場なのか。商談会に来るとどんな「いいこと」があるのか、ありそうなのか。商談会の特徴と参加メリットをわかりやすく伝えました。
もっともメールを送った相手に商談会への参加を決める権限がない場合も多いので、メールにはレターヘッド付きのPDFを添付しました。こうすれば、先方が印刷して上司に持っていきやすくなるからです。
メールに加えて、「会って直接招待状を渡す」ことにもこだわりました。やはり直接顔を見て案内をすると反応が違います。
「僕はいまこういった商談会をサポートしています。ぜひいらしてください」
メールを送り、電話でフォローし、実際に会っては誘いをかける。地味ではありますが、愚直にこの作業を繰り返しました。そのかいあって、商談会のバイヤー集客の成果は上々。ある商談会では、僕が作成したリストのうち100社が足を運んでくれたこともありました。大盛況です。
しかし、集客という意味では大成功でも、実際の成果、つまりビジネスマッチングとなると結果は寂しい限りでした。実際ビジネスとして実ったものはわずかだったのです。