「ガンちゃん」誕生
大学に入ってからというもの、僕の生活すべてが真っ暗だったわけではありません。
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音楽サークルに入ってバンド活動をしたことはいまでも忘れられない青春の一コマです。僕が入ったサークル名は「オリジナルソング研究会」、通称「オリソン」です。
入部したきっかけは、単に僕に誘いをかけてくれた学生がいたから(笑)。でも、「やってみない?」という誘いに素直に乗ったのは、タイにいた頃からピアノを習い、クラシックギターやエレキギターもひき、Xジャパンが大好きで、日本で何か音楽をやりたいという気持ちがもともとあったからでしょう。
サークルのメンバーはみなノリノリの楽しい人たちで、僕を珍しがってくれました。「なんて呼べばいい?」と聞かれたときの僕の答えが「ガンちゃん」。そう、「ガンちゃん」というニックネームはこのとき誕生したものなのです。
バンドでは僕はギターを担当しました。サークルにとっての1年のメインイベントが秋の学園祭。1年生なのに大トリを飾らせてもらい、観衆の前で思い切りギターをひき、最後にみなに胴上げされたことは本当に良い思い出です。
日本人のダークサイドを見る!?
僕は結局、バンド活動を卒業するまで続けました。でも、心の底から楽しめたのは学園祭まで。その後、僕は急速に日本に対して、大学生活に対して関心を失っていきました。
自分の日本語能力がまだつたなかったこともあって、日本人から本当の意味で受け入れてもらえない自分、どうしても日本に馴染めない自分を否応なく感じてしまっていたからです。
本人がすぐそこにいるのに平気でその人の悪口を言う日本人が多いこともつらかった。これはタイでは絶対にありえない。日本人のダークサイドを見たような気がしました。
冷めてしまった自分を自覚して、僕は決意しました。
もういいや。期待をするのはやめよう。
一匹狼でいいじゃないか。
1年生のときにいっしょに行動をしていた友人たちから距離を置き、2年時からの僕は一人で行動するようになったのです。
どうせやるなら思い切りきついバイトを
他人に期待したり、友情を深めたりといったことをある意味で諦め、一匹狼を志した僕(笑)は2年になってからどのような行動を取るようになったのか?
正直、勉強に対しても冷めていました。勉強は淡々とすればいい、卒業できればいいやと達観していました。
それよりも僕が夢中になったのはバイトです。両親は「バイトはしなくてもいいから」と言ってくれましたが、僕はバイトをしたくてたまりませんでした。一人で過ごすことが増え、時間をもてあましていたからかもしれません。
どうせやるのであれば、思い切りきついバイトを始めようと考えて僕が飛び込んだのが、ヤマト運輸のバイトです。
ただし宅配便の配達ではなく引っ越し専門。初日にまず、荷物の運び方や段ボールの乗せ方などを紹介するビデオを見せられ、引っ越しのハウツーを怖そうなお兄さんに叩き込まれました。といっても、怖かったのは顔だけ(笑)。「がんばれよ」と励ましの言葉をもらったことはよく覚えています。
料理未経験者、喫茶店で調理のバイトを始める
実際に引っ越しの現場に入ると、そこはもう軍隊のような世界です。エレベーターのない5階建てマンションの一室に本をぎっちりと詰めた段ボールを山のように運び込んだこともありました。喉が渇いたから水を飲もうとすると、先輩から「勝手に一人で水を飲みにいくな」と厳しく怒られたこともありました。
きつさを求めて始めたとはいえ、そのきつさは予想以上。結局、引っ越しを20件ほどやったでしょうか。2ヶ月ほどで引っ越しのバイトに別れを告げ、その後、僕はレンタルビデオ屋などいろいろなバイトを体験します。
学校、バンド活動、バイト。この3つを淡々とこなす毎日に大きな変化が生まれたのは大学3年に入ってからのことです。僕は、大学のすぐ目の前にあった「Be-PLANT」というカフェで新たに働き始めました。
「ホール」業務のつもりでバイトに応募し、すぐに採用されたのはいいけれど、先輩スタッフの韓国人キムさんは僕にエプロンを手渡してキッチンに案内するではないですか。
なんと、店が募集していたのは調理業務のバイトでした。「聞いてないよ」と喉から言葉が飛び出しそうになりましたが、バイトに応募したのはほかでもない、僕自身です。
ああ、確認しなかった自分が悪い。
忘れもしません。ちょうど夕方の5時の鐘が鳴る頃、料理などまったくしたことがなかった僕は調理のバイトをやってみようと決心しました。
そしてここから日本における僕の生活、大げさに言うと僕の人生が変わり始めたのです。