日本企業で活躍するタイ人を育てたい。泰日工業大学学部長として、人材教育に力を注ぐ。(ワンウィモンさん)「私と日本」vol.3 - mediator

Blog 日本企業で活躍するタイ人を育てたい。泰日工業大学学部長として、人材教育に力を注ぐ。(ワンウィモンさん)「私と日本」vol.3

2015年10月15日 (木)

私と日本
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ワンウィモン・ルンティーラさん
どこに行っても通用する人材を育成したい

日本型モノづくり大学として2007年にバンコクに開学した泰日工業大学。卒業生の50%以上が日系企業に就職し、日本や日系企業と深い関わりを持つこの大学で学部長をつとめているのが、ワンウィモン・ルンティーラさんだ。

「はじめての日本、印象は最悪だった」

日本型モノづくり大学として2007年にバンコクに開学した泰日工業大学。卒業生の50%以上が日系企業に就職し、日本や日系企業と深い関わりを持つこの大学で学部長をつとめているのが、ワンウィモン・ルンティーラさんだ。

「開校と同時に、教養学部で日本語を教え始めました。昨年、学部長に就任してからというもの会議が多くなって、なかなか勉強の時間が取れないのがちょっと残念。でも、学部長として計画していることはたくさんありますよ。あれもやりたい、これもやりたい。時間がいくらあっても足りません」

こう精力的に話すワンウィモンさんだが、日本の初印象は最悪だった。日本語を話せるようになれば就職に有利かもしれない。そんな動機から、タイの教育庁から奨学金を獲得し、大学で日本語の学習をスタート。2年生のときに短期留学で初めて訪日したが、成田空港から市内に向かう電車に乗った彼女を手酷い洗礼が待っていた。

「大きなスーツケースを携えて電車に乗っていたら、年配の男性に『邪魔!』といって怒られてしまい、ある駅で、荷物を全部出されてしまったんです。ドアの近くに大きな荷物を置いておいた私がいけないんですが、いっしょにいたタイ人の友人も私もひどくショックを受けました。正直、日本人はひどいって思いましたね。でも、その後回った京都や神戸は街もきれいで、みんな礼儀正しい。印象が悪かったのは東京だけ。日本での留学先を大阪外語大学に決めたのはそのせいです。でも、留学してから神戸や京都と大阪とでは文化がまったく違うことがわかりました(笑)」

「大阪での忘れられない思い出」

タイの大学を卒業した後、地方の国立大学で1年間、日本語教師の職に就いていたワンウィモンさんは、生徒からの質問に戸惑う日々を送っていた。日本語についてなら答えられるが、その背景にある文化的要素については答えられない。そのたびに、同僚の日本人教師に確認していたが、その先生がいないとなすすべがなかった。

ただ語学を学ぶだけではだめだ。日本の文化や日本人特有の考え方を知る必要がある。そうでなければ日本語教師はつとまらない。その思いが、彼女を日本留学へと駆り立てた。

大阪外語大学の修士課程に入ったワンウィモンさんはすぐに、大阪とタイとがよく似ていることに気がついた。よく言えば親切、悪く言えばおせっかい。タイ人にも共通する大阪人の気質や町の雰囲気に親しみを感じ、すぐに大阪の土地に馴染んでいった。

忘れられない思い出はいくつもある。ある日、大学に向かうバスに乗っていたワンウィモンさんは、見知らぬ年配女性に声をかけられた。

「道を聞かれたんです。『タイ人なのでわかりません』『日本語を勉強するためタイから留学しました』と答えたら、『あら、そうなの』『えらいわね、がんばってね』と言いながら、その方はお守りをくれました。わざわざ、自分のバッグからお守りを取り出して私にプレゼントしてくれたんです。あれは本当にうれしかったですね」

こんなこともあった。バイクで友人と二人乗りをしていたら警察官に止められ、注意を受けた。「二人乗りはダメだよ」。そう言われただけで、とくにお咎めはなかったが、その警察官はさらに続けてこう言った。

「『今回はOKということにしておくからね。その代わり約束してほしい。タイに帰ったら、日本人のことをよろしく。日本人に優しくしてあげてね』と言われました。その言葉は忘れません。いまも大事にしています」

「深夜の3時まで猛勉強を続けて」

地元の人の温かい眼差しに包まれながら、ワンウィモンさんは勉強に励み、日本語の能力は確実にアップしていった。連日、アルバイトでタイ語を教え、夜11時に帰宅。そこから深夜の3時まで予習に励んで翌日の授業に臨み、復習も欠かさず行った成果だ。

「日本語を学び始めた当初は、ひらがな・カタカナだけしか知らなかったので、日本語はなんて可愛い文字なんだろうと思っていましたが、大間違いでした。漢字を覚えるのは苦労しましたね。助詞や敬語の使い方も難しい。最初はタイで買ったタイ・日/日・タイの辞書を使っていましたが、まだまだ出ている単語も少なかったんですね。そこで、3か月たって、日本で電子辞書を買うことにしました。でも、日本語はまだそんなに上手じゃないので、利用するのは英和・和英の機能ばかり。わからない英語もたくさんあるので、またそこで単語の意味を調べなくてはならず、ずいぶん時間がかかったものです。」

大阪外語大学の博士課程でワンウィモンさんが取り組んだ論文のテーマは「日本語の断り表現」。誰かの提案に対して断りをいれるとき、日本人、タイ人、タイ語を学ぶ日本人、日本語を学ぶタイ人とではどのような違いがあるのかを考察した内容だ。

日本人は、相手が目上の人なのか、友人、あるいは家族なのかによって断り表現が明確に違うが、タイ人の場合は親しさによって違いが出るという。

「相手がえらい先生でも距離が近ければ、親しい友人への表現と同じなんです。相手の立場よりも、自分と相手との距離、親しさが鍵になる。それからタイ人の表現で面白いのは、妹に対する表現が特別なこと。妹は大事にしなければならないという意識が働くので、目上の人への表現に近くなるんですよ」

「次は私が人を教え、受けた恩を返したい」

博士課程の修了を控えたワンウィモンさんは、職業選択の岐路に立った。日系企業に就職するか、それとも別の道を選ぶか。

「お給料で考えるなら日系企業に就職した方がいい。でも、私の中では日本語を教えたいという気持ちが大きくなっていました。大阪外語大学の先生や大阪の人たちに支えられて私はがんばってこられた。とくに指導教官には熱心にサポートしてもらいました。毎週毎週、先生のところに通って細かく指導をしてもらい、応援してもらったから論文を完成させることができた。私はこの先生のようになりたいと思いました」

恩師の指導があるからいまの自分がある。こんどは自分が誰かに日本語を教えることで、受けた恩を返したい。ワンウィモンさんは2006年にタイに帰国し、タイ南部にある国立大学の日本語専攻コースで教え始めた。

1年後、まもなく開校する泰日工業大学が日本語教師を募集していることを知る。

「日本語を大切にしている大学なので、日本語の先生としては働きやすい環境だと思ったんです。ここなら私の知識や経験を生かせる。生徒たちに伝えられると考えて、応募しました」

新しい職場でワンウィモンさんは、「ある日本的手法」を導入した。反省会だ。仕事やイベントが終わった後に全員が集まり、反省点や改善点、成果を報告し、次の機会に活かすための場である。

「タイではあまりやりませんが、チームワークを高めるためにはとても効果的だと思うんです。反省会は日本語科だけじゃなく、英語科にも導入しています。授業の前後にはミーティングもしています。『改善』には役立ちますね」

比べるなら、過去の自分と比べよう

日本語を教えるにあたって、ワンウィモンさんは自分の経験を踏まえながら学生たちにアドバイスをしている。特に口を酸っぱくして言っているのは、「他の人と自分を比べるな」ということだ。

「日本の大学に留学したとき、私の日本語の実力は明らかに周囲の留学生よりも下でした。だから、つい他人と比べてしまう気持ちはよくわかる。でも、それは何のプラスにもなりません。人と比べるのではなく、昨日の自分と比べることが大事。こつこつ勉強をしていれば、昨日よりも今日、今日よりも明日、絶対に上達していますから」

大学では、日本語を教えるだけでなく、日本史や日本の社会・文化・経済に関する知識を提供しようと、「日本事情」という講義を担当している。他の大学の教授や経済の専門家を招いての講義は自分にとっても良い勉強になるという。

悩みの種は、昨年、学部長に就任してから、日本語や英語の勉強に割く時間があまりとれなくなっていることだ。会議が多く、他の大学や企業関係者など来客もひっきりなし。マネジメントと教師業との両立は容易ではない。

日本語については、いまでは日本に留学する学生や日系企業に就職した学生たちから教えられることが増えてきた。

「Twitterでよく使う『◯◯なう』という言葉の意味や使い方を教えてもらったり、アニメやゲームに登場する言葉を教えてもらったり、新鮮ですね。学生の中には、日本の歴史をゲームで楽しく学んでいる子も多い。私の時代とは違うんだなと思います」

ただ、心配もないではない。ネットには日本や日本語に関する間違った情報も多いからだ。変な日本語を覚えてしまっては学生たちが恥をかいてしまう。就職した後、仕事に支障が出てしまうかもしれない。そうした事態を避けようと、ワンウィモンさんはできるだけ日本の文化の理解に努め、基本的なマナーを身につけてほしいと学生たちにアドバイスしている。

「学生たちはこの先、日本に行ったり、日本人と接する機会が増えていくと思うんです。そのときに、失礼だとか無礼だと思われないような人材を育成するのは私の努め。いえ、日本だけではなく、どんな国に行っても通用するよう指導をしていかなければ。そのために自分からどんどん情報を発信していきたいですね」

学部長として、新しいプランの実現も検討している。工場通訳コースや職場での通訳コースの導入だ。職場に入ったときにすぐに使える実践的な日本語を教えるカリキュラムである。また、ITを使って、日本語を効果的に教える方法も模索している。目標は「いつでもどこでも勉強できる体制」づくりだ。

会議に追われて忙しいと言いながらも、ワンウィモンさんの表情は明るい。それは、現在の仕事に限りないやりがいを感じているからだろう。

「いまのような仕事をすることになるなんて、自分でもまったく予想外でしたが、チャレンジしてよかったと心から思います。日本語を学び、日本に留学し、たくさんの日本人と知り合ったおかげで、私の人生は変わりました。すごく幸福。そう、すべては日本のおかげですね。それを学生たちに伝えたい」

泰日工業大学は2年後に開学から10年目を迎える。ワンウィモンさんの指導のもと、建学理念「学問を発展させ、産業の振興に寄与し、経済・社会に貢献する」を支える同校のカリキュラムはさらに充実しそうだ。

私と日本」とは?

日本語を話し、日本の価値観を身につけたタイ人から見た、日本の姿とは何か?2つの言葉で2つの国を駆け抜けるタイ人の人生に迫る、タイでのビジネスにヒントをくれるドキュメンタリーコンテンツ。
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執筆 三田村 蕗子

ビジネス系の雑誌や書籍、Webメディアで活動中のフリーライター。タイをもう一つの拠点として、タイはじめとするASEANの日系企業や起業家への取材も手掛ける。新しい価値を創出するヒト、店、企業の取材が得意技。コロナ禍で絶たれたタイとの接点をどう復元するか模索中。

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