経験全てが仕事へと集約されていく
実学の申し子 ブンポン・ナッタポン(ナット)さん
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スポーツ、芸能、オートレース…煌びやかな業界に流星のように颯爽と登場し、瞬く間に知名度を広めた新進気鋭の通訳者、ナットさん。彼の活躍は通訳だけに留まることを知らない。辞書アプリ運営、ウェブサイト制作、ラーメン店経営、モデル紹介…。
果たして彼は何者でどのようにして今の彼があるのだろうか。ナットさんと日本語との出会いは少年時代にまで遡る。
「パスワードを入力してください」
「日本語との初めての出会いは小学4年生の頃。RPGのゲームが大好きでよく兄貴と一緒に遊んでいました。ドラクエ、FF…。中でもお気に入りはドラクエでした。敵のモンスターを仲間にすることが出来るからです。覚えていらっしゃいますか?当時のゲームはパスワードを入力しなければコンティニュー(ゲームを最初からではなく前回までにクリアしたシーンから継続して開始する行為)が出来なかったんです。せっかく大事なところまで進んだのに、カタカナ・ひらがなで入力するパスワードがわからないために今までの積み重ねが全て台無しになってしまうこともよくありました」
悔しい思いをバネに独学でカタカナ・ひらがなを学習し始めるナット少年。 今思えば、それは単にRPGという仮想現実へのパスワードではなく、日本語とタイ語を駆使する現実の未来につながる扉の鍵であったのかもしれない。しかし、小学校を卒業して、中学に入学したナットさんの生活ぶりは決して褒められるものではなかったという。
「中学に入ってからは完全に不良でした。勉強なんて一切しない。必然的に成績も不振になり、悪さを繰り返す。完全なる悪循環。ある日、親が学校に呼び出されたんです。悔しい、申し訳ないと思いました。『このままではいけない』。そう思ったときにふと頭に思い浮かんだのが、小学4年生のときに勉強した日本語でした。興味があるものしか勉強する気になれない。興味があったから独学で勉強した日本語。日本語ならこんな自分にでも継続して勉強できるのではないだろうかと思いました」
ナットさんは中学3年の時点で日本語専攻の高校に入学することを決意する。入学先はボピットピムック高校、タイ国内で日本語を最初に教えた名門校だ。
お気に入りは『夢幻三剣士』
「高校に在学しているとき、最もお世話になったのがドラえもん。インターネットも普及していない時代なので、タニヤにあるレンタルショップで借りたビデオをダビングして必死でセリフを真似て、日本語の勉強をしました。最新作も好きですが、お気に入りは『夢幻三剣士』」
ナットさんは今でもよくドラえもんを見返すことがあるそうだ。理由は何度も真似したセリフが不思議と心に染み入るから。
「高校時代は単語を覚えるよりも、 文型の学習に夢中になりました。言い回しと言った方が正確かもしれません。新しい言い回しに出会うたびに、自分を表現する方法が一つ増える。表現の世界が広がる瞬間、日本語を勉強する上で最も喜びを感じる瞬間でしたね」
高校3年生の時点で周りの生徒に比べてナットさんの日本語の成績は既に一頭地を抜いていたという。大学での日本語専攻を次のステップとして目指すのも必然の流れ。ナットさんは高校卒業後、私立タイ商工会議所大学(UTCC)に入学する。当時の思いを以下のように述懐する。
「全国13位。日本語だけの試験であれば国立大学にも入る実力がありました。しかし、日本語以外の科目をどうしても勉強する気になれなかった。日本語は興味があるから続けられる。悪く言えばその他の科目は興味がないから続かない。こればっかりは生まれながらの性格ですから、どうにもならない。欲を言えば国立大学に進学したかった。しかし、国立大学は数学、英語など総合的な学力を要求される。だからこそ私立の大学で日本語を専攻することにしました」
仲間への誓い、日本での経験を絶対に無駄にしない
現在、タイから日本に留学する制度は多様化し、日本留学のための奨学金も複数存在する。しかし、ナットさんが大学を卒業した10年前は勝手が違った。
「当時、タイから日本に正式に留学できるのは限られた一握りの国費留学生だけ。私費で日本に留学する場合、文部省からのビザすら簡単に降りませんでした。日本語以外の勉強をしていなかった私には、国費留学生という選択肢がなかったのですが、幸い父が費用を工面してくれたし、なんとかビザも得られた。私は恵まれていた方なんです。これは断言できますね。大学の同期生で日本に留学するという選択肢を選ぶことが出来た人間は極わずかでした。『 日本に留学してみたい』、強い想いを持っていてもその想いを飲みこむしかないたくさんの仲間たち。そんな仲間たちの無念さが今の自分を前に進ませる原動力にもなっています」
大学を卒業して1年間、ナットさんは川崎外交ビジネス専門学校でビジネス関連の専門知識を習得し始める。現在は二代目であるが、愛車であるカムリ(初代)を購入するためにナットさんはタイ料理屋でアルバイトをしていた。
「日本に来てまでわざわざタイ料理のアルバイト?そう思われる方もいらっしゃるかもしれません。私は日本が好きです。しかし、それと同じくらいタイが好きなんですよ。だから日本にいながらもタイと関わっていたい。この姿勢はタイにいても変わりません。タイにいても日本と関わっていたい」
日系企業、日本での経験を仕事のノウハウに昇華させる
日本留学から帰国したナットさんの職歴はまさに電光石火。瞬く間に自身の経験を仕事のノウハウへと昇華させていく。卒業後の2年間、WEB制作を手がける IT会社の通訳を務める。この経験が後にアプリ制作というノウハウに活かされていく。
25歳でフリーの通訳として独立。法律事務所の通訳でより高度な日本語を身につけた2年後、彼の知名度をタイ国内だけでなく日本国内にも轟かせる仕事に出会う。広告制作会社での通訳である。
「タイと日本の芸能界の大物に会う機会が頻繁に訪れました。日本人の大物、例えば、哀川翔さん、最近結婚された福山雅治さん、ジャニーズJr.の山下智久さんの通訳やアテンドをしました」
もちろんというべきか、ナットさんの仕事は芸能関係の仕事だけには留まらない。ムアントンユナイテッド(タイ・プレミアリーグのサッカーチーム)を運営する国内最大級のスポーツ関連会社サイアム・スポーツでの通訳、日本で開催されているオートサロン・ドリフト大会のタイでの再現支援等など。
「決して一つの業界に縛られることなく、複数の業種を行き来しながら仕事をこなしてきました。心を柔軟にしておかないと、いい仕事はできませんから」
まさに飛ぶ鳥を落とす勢い。ナットさんの知名度は複数の業種を通じて上昇しつづける。しかし、そんなナットさんでも日本語と関わるモチベーションを下げないように努力する必要があるという。タイにいながら日本語に対するモチベーションをつなぎ止める方法、それは「止むことのない好奇心に栄養を与え続けること」だとナットさんは答える。
「永遠の0」を読んだタイ人
「小さな頃、私と日本を繋ぎ止めるものはドラえもん、ゲーム、マンガでした。しかし、大人になるに連れて日本に対する興味の位相も変化していく。今の自分が最も興味を引かれているもの、それは日本の歴史。 なかでも戦時下の日本に対する興味は非常に強いですね。時間があれば知覧の特攻平和会館を訪れてみたい」
自分の前世は第二次世界大戦下の兵士だったのかもしれない。そう思うほど、日本の第二次世界大戦下の映画にのめり込んでいくナットさん。「永遠の0」は映画だけではなく、小説も読んだそうだ。日本に興味を持ちつづける理由となる好奇心、それは現在手がける辞書づくりの仕事にも深く関係しているとナットさんは言う。
言葉の地平線を切り拓く仕事
「辞書を作るのにもっとも大切なことは、言葉という大海の中で新たな地平線を広げていく好奇心だと考えています。知らないことを知る勇気、知らない世界に一歩踏み出す覚悟、多角的に言葉を捉える柔軟性を常日頃から養っていく必要性を感じています」
既に7万語を収録する携帯辞書アプリ「j-doradic」を運営するナットさん(携帯辞書アプリ「j-doradic」の詳細情報はインタビュー記事の下で紹介)。今後の目標について以下のように語ってくれた。
「目標は二つあります。一つは自分の会社を元気にさせていくこと。まずは辞書の語彙数を10万語以上にしたいですね。近いうちに新しいアプリを世に輩出させる予定です。もちろん、日本と関連したアプリです。もう一つは、親日派タイ人の増加に貢献すること。一つの手段として、2015年12月に日本語学習についての著書を出版しました」
本のタイトルは『思うままに日本語を話す』。本著には、使用頻度の高い日本語単語の解説に加え、レストラン・ショッピングといった主要なシーンだけでなく、病院・タクシー・デートなどの細かいシーン別に使用できる会話がふんだんに詰まっている。いわば、単語と会話の辞書だ。
「日本語学習経験のあるタイ人だけでなく、旅行、和食、漫画、ゲーム、芸能、音楽…ハイカルチャー、サブカルチャー問わず、どんな些細なことでも日本に興味を持つ人なら誰でも楽しめる内容になっています。日本語の知識がゼロのタイ人でも楽しく分かりやすく読めるように、収録した単語の半数以上にイラスト図解を加えました」
ナットさんの言葉通り、単語や例文の量が既存の日本語フレーズ集に比べ圧倒的に多いのが本著の特徴。様々な業界を渡り歩くナットさんの経験と知識を最大限に生かした賜物であり、タイ語を勉強する日本人にとっても役に立つ教科書になっている。また、ナットさんは執筆だけでなく、イラストの校正作業にも労を厭わず積極的に参加したという。
「正直くたくたになりました。だからこそ本当によいものが出来上がった。私の書いた本を、日本語上達の時間を短縮させるドラえもんの秘密道具だと思って読んでいただけたら幸いです」
「自分は運がよかっただけ、たまたま日系企業や日本での経験やノウハウをうまくアウトプットすることが出来ただけだ」と謙虚に答えるナットさん。
自分の経験を伝えるツールとしてウェブを制作・運営しながら、媒体となるツールそのものの知名度を向上させる活躍を通訳として同時にこなしていく。果たして、運だけでここまで仕事を器用にこなせるだろうか。
ナットさんの振る舞い、話し振り、そして生き様を飾るにふさわしい言葉は縦横無尽の才気煥発。運だけではなく実力を伴った格好よさほど見ていて清々しいものはない。
辞書アプリ「j-doradic」の情報とダウンロードページのご紹介
タイ人に一番多く使われている大ヒットタイ日辞典アプリ「j-doradic」。日タイ辞書の検索機能があるので日本人の方にもご利用いただけます。
▼アプリのダウンロードページ
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