「ガンタライス」を召し上がれ
Be-PLANTのお店はいまも埼玉大学のすぐ目の前で営業をしています。
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もし機会があれば、お店に足を運んでみてください。そして、ぜひ「ガンタライス」を注文してみてください。
「ガンタライス」って何かって?
僕の名前にちなんだセットメニューであり、作ったのはほかでもない、このガンタトーンです。中身は豚肉のカレーペースト炒め。Be-PLANTでは毎日まかない料理を食べていましたが、あるとき「タイでは、白いごはんにおかずをかけて、カイダーオ(目玉焼き)を添えて食べるんです」という話をしたら、「それは面白い!ぜひ作ってみて」という話になりました。
早速作ってみると、うれしいことに大好評。お店のメニューとしてお客さんに出すことになったのです。自分が創作した料理がカフェのメニューに取り入れられ、しかも自分の名前がついているという人はそういないでしょう。「ガンタライス」は僕の自慢の一皿です。
コンプレックスがあった…
日本人にもタイ人にもいろいろな人がいて、合う人もいれば合わない人もいる。でも仲良く慣れる人は必ずいる。シンプルな事実を教えてくれたBe-PLANTでのバイト生活は2年で終了。
僕は晴れて卒業、するはずでした。
ところが、4年生になった時点で単位が少し足りないことが発覚し、結局半年遅れで卒業することになりました。原因は単純な計算ミス。日本語学校に入るときもそうですが、僕はなんとうかつなんでしょう。
そんな失敗はありましたが、大学生活は僕の身となり骨を形作った貴重な時間でした。正直なことを言えば、僕はせっかく日本に来たのだから、「東京」の名前がつく大学に進学したいと考えていました。「東京」の名前はついていなくても六大学ならタイ人留学生がたくさんいて、タイ人留学生社会は東京が拠点です。埼玉ではありません。
東京の大学だったら。大学院に行っていたら。そんな思いはずっと胸の中にありました。ぬぐえない僕のコンプレックスでした。
収穫が多かった大学生活
埼玉大学では勉強も思うようにできなかったし、あまりやる気も湧いていませんでした。
大学院に進学しようと思ったけれど、大学時代の専攻と希望する大学院の専攻が異なる場合には受け付けられないことを知り、大学院進学にも挫折しました。卒論の出来もよくなかったと思います。
勉強面でいえば僕の大学生活は充実していたとは言えないでしょう。
でも、収穫は大きかった。日本人を知ることができたこと、日本人の考え方に触れたこと、日本の価値観を身につけたこと。それは僕にとってかけがえのない財産です。
東京の大学に行って、タイ人留学生がたくさんいる環境にいたら、違っていたように思います。交換留学生として日本の大学にやってきて、留学生用の寮に住んで、バイト先もタイ料理店で、タイ人とばかりつるんでいるうちに留学期間が終わってしまうというのはよく聞く話です。
その点、僕はまさにその対極の生活を送りました。回りにはタイ人がいない環境で生活をし、勉強をし、バイトをした。だからこそ僕は、日本人とタイ人とを隔てる壁を乗り越えられたように思うのです。
ヤフオクにはまったことも
大学ではほかにもさまざまなことを体験しました。
告白すると、日本人の彼女がいたこともあります。タイ人の友人がタイ料理レストランで働いていて、そこに勤めていた女の子です。
ヤフーオークションにはまって、先輩から車を5万5000円で買ったこともあります。事故でつぶれて、車検が切れそうな車でした(笑)。
別の車を5万円で買って3万円で売った経験もあるし、ギターのベースやエフェクターの売買もしました。ヤフオクにはどっぷりとつかっていましたね。
自分にできないことをやすやすとこなしてしまう人には興味があるので、ちょいワルの先輩の真似をしてみたり、ハッキングやナンパが得意な先輩に憧れたこともあります。
でも、どれも自分の柄じゃない。自分のキャラじゃないことがわかって結局あきらめましたが、いま思えばあの頃の僕にはまだ「芯」がなかったのかもしれません。
今は?
あります。しっかりとした芯があります。前のようなコンプレックスはもうなくなりました。国費で留学したり、博士号を取った人に引け目を感じることも、今はもうありません。それもこれもBe-PLANTのおかげでしょうか。
そして僕は大学を卒業し、在京タイ王国大使館に就職しました。これもまたギリギリで決まったのですが、大使館時代のお話はまた今度。じっくりお話したいと思います。