日本に留学するタイ人を強力にバックアップするーブームさん「私と日本」vol.23 - mediator

Blog 日本に留学するタイ人を強力にバックアップするーブームさん「私と日本」vol.23

2021年08月05日 (木)

私と日本
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楽しかった日本への留学生活

日本への留学を希望する人を応援したい、留学が実現できるよう有益な情報やアドバイスを提供したい。その思いをかなえて、タイから日本へと旅立つ若い世代を暖かくサポートしているのがブームさんだ。

在タイ日本大使館の奨学金部門に所属し、日本政府の奨学金を使って留学するタイ人を送り出す業務に携わっているブームさんは「この仕事が楽しくて仕方がない」と話す。

仕事への情熱に満ちあふれ、日本語を巧みに操るブームさんと日本との接点は幼い頃にさかのぼる。

「小さい頃から日本が大好きでした。そごうデパートに連れて行ってもらうのは楽しみでしたし、品質の良い日本製品もたくさん使っていました。デザインも可愛いし、とにかく便利にできている(笑)。日本はとても身近でした」

高校生ではフランス語を専攻していたが、母親から「日本語を学んでおくと日系企業への就職が可能になって有利」というアドバイスを受けて、かねてから興味があった日本語の学習をスタート。

「日本語の先生に自宅に来てもらって、ひらがなや読み方を教わりました。当時はまだYouTubeはなかったので、『HERO』などの日本のテレビドラマを見て勉強していましたね」



大学3年のときには、交換留学制度を使って留学を果たした。留学先は埼玉大学。期間は1年。ヒアリングが少し苦手だったというブームさんの日本語力は、この期間にみるみる上達を遂げていく。

「厳しい先生がいたのですが、別の学生グループのクラスにも参加できるようにしてくれたり、感謝しかありません。授業のないときにはタイ料理レストランでバイトして、友達もたくさんできました。いまでも連絡を取り合っています。旅行にも行きましたよ。北海道にも行ったし、沖縄にも遊びに行きました」

朗らかに振り返るブームさんの言葉から、充実した留学生活の様子が伝わってくる。この体験が現在のブームさんの「核」になっていることは間違いない。

自らの留学体験を活かしたい

2008年、留学を終えてタイに戻ったブームさんは通訳として、日系のあるプラスチック成型企業に就職。その1年後にJASSO(日本学生支援機構)への転職を決めた。

「留学アドバイザーを募集していたので応募しました。その仕事に興味があったからです。自分が留学できた経験、そこから得たことを多くのタイ人に伝えられたら。そう思いました」

留学試験や留学生活に関する情報を集め、精査しては提供する毎日。自らの体験や意欲を十分に活かすことができた環境で、ブームさんは水を得た魚のようにバリバリと働いた。

だが、その6年後。ブームさんは楽しかった職場を後にする。

「ワーキングホリデーの制度を使って、オーストラリアで1年間働いていました。この制度を利用できるのは30才まで。年齢的にぎりぎりだったので、行くならいましかないと決意したんです。でも、現地ではラーメン屋で働いていました。よほど日本と縁があるんでしょうね(笑)」

オーストラリアに渡っても切り離せない日本との縁–。その縁を手繰り寄せるかのように、タイに帰国した2016年、ブームさんは新たな職場として日本大使館を選んだ。新たな職場でのブームさんの役割は日本政府の奨学金をプロモートすることだ。

「日本政府の奨学金と一口に言っても、学部、大学院の研究過程、博士課程など全部で7種類の奨学金があります。毎年、この奨学金で送り出しているタイ人の数は60人。優秀なタイ人が応募してくるので競争率は高いです。特に学部の留学生になると何百人が応募して、選ばれるのは20人ほど。非常に厳しいですね」

ブームさんによれば、日本への留学を考えるタイ人は毎年増加しているという。では、どういった人が留学向きなのだろう。

「日本の大学でも英語で授業を行うところは増えてはいますが、やはり、日本に留学をするのであれば日本語をしっかり勉強した方がいい。日本語がわかれば日本語の本も読めるし、広い世界に触れられる。日本語ができないとせっかくの機会がもったいないです」

熱心に語るブームさんはさらにこう付け加える。

「大学から日本に行ってもいいし、タイの大学にまず入ってから途中で留学する、あるいは、タイの大学を卒業してから日本の大学院に留学するという道もあります。いろいろなオプションがあるので、自分にあった道を選んでほしいと思います」

この仕事をやってきてよかった

コロナ禍でタイの社会はあらゆる面で大きなダメージを受けているが、ブームさんにとっては良い点もなくはない。説明会を実施しやすくなったからだ。

「以前は大学に出かけては日本政府の奨学金に関する説明会を行ってきましたが、コロナの影響で状況が変わりました。以前にはなかなか行けなかった地方の大学もオンラインで説明会が開催できるようになったんです」

ブームさんの以前の職場であるJASSOとの協力関係も続いている。JASSOの職員と共同で、奨学金に関する説明会を行う機会も増えたそうだ。

日本の大学と連携したイベントも意欲的に開催している。

「タイに事務所を置いている日本の大学は50校ほどあるんですよ。そうした学校の留学フェアや留学セミナーにも参加しています。留学を志す学生にとって本当に役立つ留学関連情報をいろいろな面から提供していきたいですね」

自らの留学体験、以前の職場で培った信頼と実績、経験、そして構築したネットワーク。現在の仕事にはブームさんのこれまでのすべて生かされているといっていい。

「そうかもしれません。本当にこの仕事、楽しいんです。特にお礼などは期待していませんが(笑)、留学した人から『ありがとう』と言われるのはすごくうれしい。ときには、留学しようと大学に連絡したのに返事がなかなかこないといった問題が起きることもありますが、なんとか解決できて、無事に送り出すことができたときは感慨無量です。『夢がかないました』と言われると、この仕事をやってきてよかったとしみじみ思いますね」

語学おたくで、日本語だけではなく中国語、フランス語も勉強してきたブームさんは最近、スペイン語の学習も始めた。旺盛な好奇心と行動力には驚くばかりだが、興味の中心はいまも「日本」にあるようだ。

「コロナ禍のいま、日本とタイを往来することは難しくなりましたが、収束すればシンポジウムや意見公開の機会を増やしたいですね。日本にももっと旅行したいです」

最後にこんな質問を投げかけてみた。

「現在の仕事をこれからも続けますか?」

ブームさんはためらいなくこう答えた。

「いろいろな会社で仕事をしてきましたが、この仕事には本当にやりがいを感じています。留学アドバイザーの仕事はずっと続けますよ!」

明るくそう宣言したブームさんから力強いサポートを受け、たくさんのタイ人が日本に留学する未来がクリアに見えてきた。

私と日本」とは?

日本語を話し、日本の価値観を身につけたタイ人から見た、日本の姿とは何か?2つの言葉で2つの国を駆け抜けるタイ人の人生に迫る、タイでのビジネスにヒントをくれるドキュメンタリーコンテンツ。
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執筆 三田村 蕗子

ビジネス系の雑誌や書籍、Webメディアで活動中のフリーライター。タイをもう一つの拠点として、タイはじめとするASEANの日系企業や起業家への取材も手掛ける。新しい価値を創出するヒト、店、企業の取材が得意技。コロナ禍で絶たれたタイとの接点をどう復元するか模索中。

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