「楽しさ」を軸に軽やかに行動し、EECを牽引する経済学博士ーワンウィワット・ケサワさん 「私と日本」vol.22 - mediator

Blog 「楽しさ」を軸に軽やかに行動し、EECを牽引する経済学博士ーワンウィワット・ケサワさん 「私と日本」vol.22

2021年08月03日 (火)

私と日本
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転機になった日本へのスタディツアー

タイ政府が「タイランド4.0」を実現するために注力しているEEC(東部経済回廊)–。バンコク東部のチョンブリー、ラヨーン、チャチェンサオの3県にまたがって、EVなどの次世代自動車をはじめとして、医療、航空、ロボットなどのハイテク産業への投資促進と陸海空インフラなどを一体的に開発する構想だ。2021年の投資申請目標額は3000億バーツ(約1兆488億円)。タイの経済発展の鍵を握る肝いりの政策といっても過言ではない。

そのEECで副部長をつとめるのがワンウィワット・ケサワ博士だ。コロナ禍の2020年に留学先の日本から戻り、現在の任に就き、「自分が研究してきた経済モデルを実践できる環境は天職」と言い切るワンウィワット博士はなぜ日本に留学し、日本語を学び、日本語の大学で博士号を取得したのだろう。

日本留学を志す多くのタイ人とは異なり、ワンウィワット博士は日本のマンガやアニメにはほとんど興味がなかったという。

「その点は他の人と違うかもしれないですね。日本に関心を持つきっかけになったのが、チュラロンコン大学の経済学部に通っていた2年生のときに参加した日本へのスタディツアーでした」

名古屋大学と地方銀行が主催するツアーのタイでの公募人数はわずか2名。ワンウィワット博士はこの狭き門に応募し、みごと選抜されて参加権利を獲得。名古屋をベースに日本各地を周った。世界中から100人の学生が参加したツアーは刺激的だったようだ。

「3週間という期間でしたが、楽しかったし、何より勉強になりましたね。このときは英語を使っていたのですが、ツアーを機に日本への興味が高まり、日本語をちゃんと勉強しようと考えるようになりました」

念願かなって日本に留学

3年に進学したワンウィワット博士はチュラロンコン大学の文学部に一人の日本人留学生が在籍していることを知り、日本語を教えてくれないかと申し出た。

「彼女は快く受けてくれて、週に2回、1対1で日本語を教えてもらいました。面白かったですよ、最初のうちは(笑)。だんだん難しくなりましたが」

1999年に大学を卒業すると、ワンウィワット博士は就職先として工業省を選択した。その傍ら、チュラロンコン大学の教授のアシスタントとして研究生にもなっている。

「日本に留学したいという思いがあったので、日本の大学を出ている教授につきました。日本留学に関する相談ができますからね。その目論見通り、教授の方から『日本に留学したい?』と打診され、日本政府からの奨学金を得て、チュラロンコン大学がMOUを結んでいる埼玉大学に留学することになりました」

埼玉大学との1年にわたるやりとりを経て、ワンウィワット博士は晴れて日本に留学。国際交流センターで1年間日本語を学んだ後、埼玉大学の修士課程で研究をスタートした。

「日本語を学んだ最初の1年間は真面目に勉強しました。センターで日本語の授業を受けたら、部屋に戻って復習や宿題をこなして、とにかく必死でしたね。でも、すごく楽しかった。学生にまた戻ったような気分でした」

3年間の修士課程ではアパートを借りて一人暮らし。日本食にもまったく抵抗がなかったワンウィワット博士はホームシックに陥ることもなかったという。修士課程を終えて、2005年にタイに戻ると、次の職場として日系の物流会社に就職。ここで3年間勤めた後、再び工業省に戻り、1年後には商務省へ。さらに3年後には教育省に移っている。

ワンウィワット博士が仕事先を変える基準は明快だ。一言でいえば「楽しそう」かどうか。

「常にトレンドをフォローしたい。それができる環境を選んでいます。チャンスがあったら逃さず、移りたい。その方が楽しいですからね」

博士課程で作った経済モデルを実践できる

ワンウィワット博士は2016年に再び、日本に留学している。

「クーデター以降のタイの状況があまり芳しくなかったからです。そこで前から考えていた博士号の取得のために、再び埼玉大学に留学することにしました」

とはいえ、前回の留学とは事情が違った。今回は奨学金はなく、貯金を使った私費での留学だ。しかも、すでにワンウィワット博士は結婚し、子どももいた。



「家族連れで留学しました。娘は当時2才。ただ、埼玉大学は前にも留学していましたが、安心感はありましたね。知り合いも多く、何かあったとしても大丈夫だろうと思いました」

家族の世話をしながら、埼玉大学の客員研究員としてASEAN・メコン経済、中小企業金融に関連した調査を行い、2019年からは専修大学の非常勤講師として学部生を対象に授業も行った。テーマは、開発経済学やASEAN経済、中小企業金融などの国際経済学といった専門分野だ。忙しいながらも充実した毎日。だが、2020年に入るとCOVID-19の感染拡大でワンウィワット博士のプランは変更を余儀なくされた。

「昨年の4月にいったんタイに戻りましたが、その後、なかなか日本に行けない。結局、リモートでアンケートを実施し、データを集めて9月にようやく博士課程を終えることができました」

そして、昨年10月。ワンウィワット博士はタマサート大学の経済学の教授から声がかかり、現在の職を得た。決め手は何だったのだろう。

「EECの役割はチョンブリー、ラヨーン、チャチェンサオの3県で産業開発を行い、日本を始めとする海外の企業を誘致すること。実はこれは私の博士課程の研究テーマでもあるんですね。現在は、企業の中に入って20人ぐらいのグループで人材育成トレーニングを行っています。EECの活性化には人材が鍵。タイの労働者はスキルが十分とはいえません。特にハイテク関係のスキルですね。人材を育成し、スキルを身につけてもらうことで経済成長を図ることができるというのが私が博士課程で作った経済モデル。それを実践できることにこれ以上ないやりがいを感じています」

ただし、不満がほんの少し。せっかく身につけた日本語を使う機会がないことだ。

「このままでは忘れてしまうので、日曜日の朝の時間を使って日本語をもう一度勉強しようと思っています。6歳の娘にも日本語を教えているんですよ」

そう明るく話すワンウィワット博士に、日タイ関係をさらに強固にするためには何が必要なのかを尋ねてみた。EECを成功に導き、日タイのパイプをさらに太くするにはいったい何が求められるのだろう。

「それは、メディエーターのガンタトーンさんのような人材を一人でも多く輩出すること。私はこれを『ガンちゃん100人計画』と呼んでいる(笑)。タイと日本の結びつきはより強くなるはずですよね。そうなったら楽しいじゃないですか」

ワンウィワット博士さんの話には何度も「楽しい」という言葉が登場する。語学学習においても、留学生活においても、研究生活においてもキーワードは「楽しさ」だ。自分にとって「楽しい」か否か。それはモチベーションを維持し、自らを向上させる鍵となる。シンプルだが本質的な感情を軸に、変化をおそれず軽やかに行動するワンウィワット博士もまた、間違いなく日タイ関係を強固に紡ぐ人材の一人である。

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執筆 三田村 蕗子

ビジネス系の雑誌や書籍、Webメディアで活動中のフリーライター。タイをもう一つの拠点として、タイはじめとするASEANの日系企業や起業家への取材も手掛ける。新しい価値を創出するヒト、店、企業の取材が得意技。コロナ禍で絶たれたタイとの接点をどう復元するか模索中。

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